集英社オンラインで斎藤淳容疑者の父親が取材に応じ斎藤淳容疑者について話していました。
斎藤淳容疑者の父親が語った斎藤容疑者の家族について書いていきます。
斎藤淳の家族
斎藤淳容疑者は逮捕されたあの自宅で、父親、母親、姉と過ごしていました。どこにでもいるごく普通な家族で幸せに暮らしていました。
それが変わったのが両親の離婚。斎藤じゅん容疑者の父親と母親が離婚したのは今から23年前で斎藤容疑者が17歳か18歳の高校を卒業する年でした。
斎藤淳容疑者が子供のころは父親と公園や山で遊び、祖母と湘南の海に出かけたり定期的に家族旅行にも行っていました。
父親の証言では仲が良い家族で斎藤淳容疑者が大切に育てられていられたことが分かります。斎藤容疑者の両親が離婚する前は幸せに暮らしていました。
父親が語る斎藤淳の人柄
斎藤容疑者の父親は息子である斎藤淳容疑者のことを少し神経質なところがあったがとても優しい子だったと言いました。
ごく普通の子供で成績も悪くなく、おもちゃが欲しいなど他愛のない会話をよくしていました。特におもちゃのなかでもトランスフォーマーのようなロボットものが好きなごく普通の男の子でした。
父親の中ではとても優しくどこにでもいる男の子の印象の斎藤容疑者。現在の斎藤淳容疑者とは想像もつきません。父親も逮捕された斎藤じゅん容疑者を見て驚いたに違いありません。
斎藤淳自ら選んだ学校
斎藤じゅん容疑者は小学校は地元の公立校に通いましたが中学校は全寮制の私立中学校に通いました。中学校は母親が選んできた中から斎藤容疑者が選びました。
中高一貫校でしたが寮生活に苦痛を感じ、中学2年生のときに公立の中学校へ転校しました。その後高校は地元の私立高校へ進学。
高校卒業後は映像に関する仕事がしたいと映像関係の学校に進学。映画監督を目指していた報道があったが、父親の映画好きが影響した模様。映像関係の学校は大阪芸術大学に進学していたことがわかりました。
斎藤容疑者は父親の影響で映画を好きになり、自室で父親がみていた映画を借りてみていました。それほど斎藤容疑者にとって父親の存在が大きく尊敬する存在であったことが考えられます。
<追記>短編映画コンテストでの受賞
斎藤容疑者は幼少期から映画が好きで、「夢は業界で働くことだった」(父親)。以前交流があった映画監督の男性によると、斎藤容疑者は大学卒業後に本格的に映画を撮り、2005年には国内の短編映画祭で作品が上映された。22年に「ドライブ・マイ・カー」で米アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督らの作品も上映された映画祭だった。短編映画のコンテストなどで受賞歴もあったという。
引用:朝日新聞
斎藤容疑者は大学卒業後に短編映画コンテストで受賞していたことが分かりました。斎藤淳容疑者は映画製作の才能もあったことが考えられます。
斎藤淳が転々とした仕事
斎藤淳容疑者は大阪芸術大学を卒業してから就職するわけでもなくアルバイトをしては辞めてを繰り返していた模様。映画館で一時働いていたということも。逮捕時も無職となっていました。
埼玉 飯能 美杉台
無職 斎藤 淳容疑者(40)
父親が言うには斎藤淳容疑者の人生の歯車が狂い始めたのはこの頃からだと言っています。
報道でもあったように映画製作をして挫折した時期と同じです。斎藤容疑者にとって映画製作の挫折は非常に大きな影響でした。
斎藤淳の母親と姉との関係性
今から10年前、斎藤容疑者が30歳の頃母親と姉に対する暴力があったと斎藤容疑者の父親が言います。
引きこもりに加えて暴力に耐えきれなくなった斎藤じゅん容疑者の母親と姉は家から出て行ってしまいました。ここから斎藤容疑者の孤独な生活が始まりました。
父親も姉を通して斎藤容疑者の様子を聞いていましたが1年ほど前から斎藤淳容疑者に連絡が取れなくなった模様。1年前としたら斎藤容疑者が被害者の車に傷をつけて逮捕された時期です。
父親に来た弁護士からの書面
父親は斎藤容疑者が逮捕されたときに被害者側の弁護士から家から出て行ってほしいと書面が来たと言っています。
車両傷つけられ事件発生
日時 8月16日朝から17日夕方の間(この間不在)
場所 4丁目敷地内
事件内容
★自宅駐車場で、車の右側フェンダーから、前・後ドアを通過してトランクルームまで傷つけられた。
★修理代は100万円
対応・対策内容
■110番通報で、駅前交番から警察官が臨場。翌日は夜間見回り実施。今後巡回回数を増やすとのこと。
■自己防衛策として、防犯カメラと光センサーライトを設置
住民の皆様へのお願い
■犯罪予防策を日頃から検討し、実施のお願い。
■情報の共有化を計り、皆で犯罪予防。
■事件発生時や発生の可能性を感じたら110番。
追記
後日、警察官が犯人と思われる写真を持って、弊職宅を訪れたが、見当がつかなかった。
以上
斎藤容疑者は自分の居場所がなくなることに恐怖を覚え、それが恨みに変わったとみられます。また被害者家族が仲が良いのを妬み自身が幸せだった家族生活が虚しく思えたか。
父親が語った斎藤容疑者は社会人になってからおかしくなったと言っていますが、父親を慕っていた斎藤淳容疑者にとって両親の離婚は非常に耐えがたいものだったに違いありません。
斎藤じゅん容疑者の中で「父親」そして「家族」はとても大きい存在だったと考える人が多いでしょう。
<追記>斎藤淳容疑者の服に被害者のDNA
斎藤淳容疑者の自宅から被害者のDNA型と一致する血液がついた服が見つかったことが報道されました。
また被害者3人の腕などに抵抗した際にできる傷が複数あり、斎藤容疑者が執拗に襲ったと考えられています。
しかし斎藤容疑者は「身に覚えのない話です」と供述している模様。
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